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【浜染工房について】
信州松本 創業明治44年本藍壺染
伝統の技法が織りなす藍の型染め。
紺屋三代目、藍型染めの想い。
世界最古の染料と言われる藍は、およそ千四百年前の飛鳥時代に、シルクロードを通ってインドから中国を経て我が国、日本に伝来されました。
藍染の原料は植物の蓼藍(たであい)の葉ですが、蓼葉は水につけても溶解せず、当時はそのまま擦り付けて染めていたそうです。
平安時代の文学、紫式部の『源氏物語』では、全五四帖の内、六つの帖に「二藍」「山藍」などの藍が登場します。その頃の貴族は直衣(のうし)として藍を日常的に着用していたそうです。
室町時代になると藍染の技法も変化し、土中に埋めた甕(かめ)に、染料の元になる蓼葉を発酵させた蒅(すくも)あるいは藍玉を加えて攪拌(かくはん)して加熱することから染液ができました。
藍色を細かく分類すると四十八色あったそうです。藍染が庶民に広く親しまれるようになったのは木綿が普及した江戸期に入ってからになります。
明治時代中期に開発された化学藍の出現で、作業に手間と体力を要する本藍染の紺屋は激減の一途を辿りました。そんな激動の最中の明治四十四年、先々代浜茂人が松本市に浜染工房を創業いたしました。藍染の中でも一番難しい技法「藍の型染め」を生業として、先達の技術と精神を受け継ぎ今日に至っております。
創業百年を超え周りを見回しますと、本藍の型染め職人は全国でも数えるくらいしか存在していない現実を知りました。
「藍染の技法を次世代に伝えることができれば」と、そんな想いで新しい作品作りに情熱をかたむけ、藍染の素晴らしさや魅力を染め上げた作品を評価していただければと日夜励んでおります。



型彫の一部分を5cm角内に原寸で
防染の糊置き
糊置きの後の乾燥と陰干し

渋紙の型彫

365日欠かすことのできない藍の攪拌(かくはん)作業

工房内部

